今朝(9/18)の朝日新聞朝刊、4面と5面「天皇と象徴を考える」という特集
に登場する「朝日新聞皇室担当特別嘱託」の岩井克己氏は、
長年、皇室担当記者でありながら、反天皇の思想を持つ極左の人物です。
平成20年には、皇太子殿下ご臨席の北京五輪選手団結団式・壮行会で、
国歌斉唱のため、司会者から起立を促された際、全員が一斉に立ち上がる
なか、一人だけ足を組んで座ったまま、堂々と「君が代拒否」の姿勢を見せ、
週刊誌にも取り上げられています。
その記事が、これです。
週刊新潮 平成20年8月7日号
この記事にも書かれていますが、岩井克己氏は、皇室関連の様々な
スクープを打ってきました。もっとも大きな事件となったのは、平成11年、
「雅子妃殿下ご懐妊の兆候」スクープです。
まだ妊娠の超初期段階、慎重に慎重を要する時期であったにも関わらず、
朝日新聞一面トップでこのスクープが大々的に打たれてしまい、
宮内庁と東宮職は過熱報道の自粛を要請したものの、世間は先走って
お祝いムードに溢れてしまいました。
しかし、その後、稽留流産されたことが発覚。
ただでさえ重圧のかかる「皇太子妃としての出産」というプレッシャーを
背負われていた雅子妃殿下を、さらに精神的に追い詰める結果となって
しまったのです。
この時のことを、岩井
氏は自身の著書『天皇家の宿題』でこう書いています。妊娠のごく初期であり、女性の身体のことをあからさまに書くわけには
いきません。私は、「雅子さま 懐妊の兆候」という40行だけの、新聞の
一面トップとしては非常に短い記事を出稿しました。
(中略)
翌朝、世間は大騒ぎになりました。ニュースは大変な驚きをもって迎えられ、
そしてすさまじい報道の洪水が始まりました。各社懸命に追いかけて、私が
書くのを控えたことも次々に報道されました。NHKは出産予定日も報じました。
そして「おめでとう」の大合唱です。
(中略)
ところが、12月13日のエコー(超音波)検査では、赤ちゃんの心拍は確認
されませんでした。懐妊はしているとしても確かな状態ではないということで、
発表は見送られました。
(中略)
とても悲しい事態になってしまいました。「医学的に確実でないのに、大々的に
報道したことが本人にとって大変なプレッシャーになった」。宮内庁はそう言って
報道陣を攻撃しました。中でも引き金を引いた朝日が一番悪い、朝日は報道の
ストレスで流産した責任をどうとるのか、とまで言われたのです。
(中略)
しかし、結果としては皇太子、雅子妃に大きなプレッシャーを与えてしまったと
痛切な反省が残りました。悪意など全くなく、さぞやご本人も楽しみにしており、
国民と喜びを共有できるだろうと思ったのですが。
岩井克己氏の主張は、「あくまでも善意で、しかも40行だけの短い記事だったのに、
なんだか世の中が過熱して、勝手にお祝いムードになるから、僕が悪いことになって
しまった」という言い方。
雅子妃殿下の状態を推し量る気持ちなどどこにもありません。
しかも、この章の最後には、翌年の記者会見で雅子妃殿下が関係者への感謝の念
を述べられ、笑顔で岩井氏に話しかけられたことを取り上げて、
(雅子妃殿下が)痛手から立ち治りつつあることがうかがえ、「許します」という
サインのように感じてうれしく思ったことを覚えています。
などと、悪びれもせず自己都合で解釈し、「そんなこともあった」かのように軽くまとめて
しまっているのです。
そもそもこの本は、自分がいかに皇室のことをよくわかっており、プライベートの情報も
知っているかという語り口でありながら、「天皇が」「皇后が」「皇太子は」と、意図的に
敬称を略した呼び捨て感覚で書かれており、見え透いた悪意が充満している一冊です。
自分が新聞記者として大スクープを打てさえすればよい、皇室などスクープの材料に
すぎない、必ず大スクープになるからホクホクだ。そのために皇室の方々が傷つこうと、
滅びようとかまわない、それが岩井克己氏の正体です。
朝日新聞皇室担当特別嘱託の岩井克己氏は、一見、丁重な語り口でありながら、
天皇制がなくなればよいと思っている完全なる極左です。
皇位継承の道筋が先細ればよいと考え、意図的に、男系男子限定派を持ち上げ、
同じ主張をしているのです。
朝日新聞の皇室報道には十分注意しなければなりません。